日本航空JL501-514便 羽田=新千歳フライト(4) 大通~札幌駅散策(2021/6)

「さえら」で懐かしのフルーツサンドを食べた後は、札幌駅までブラブラと移動します。

私が本州から札幌に引っ越して居を構えたのは1986年のこと。35年も前のことになります。当時と変わらないものをいくつか。

まずは大通公園の「さっぽろテレビ塔」。もちろん塗り直しがあったり、電光時計がリニューアルしたりしていますが、1957年(昭和32年)にできてから高層ビルが立ち並ぶ現在まで、札幌のシンボルの一つとして輝いているのは間違いないでしょう。

そのおひざ元に広がる大通公園は市民の憩いの場。春から夏にかけて、天気のいい日は芝生に寝っ転がったり、とうきびワゴンで買ったとうきびを食べたりするのはとても気持ちがいいものです。

この日、もっとも賑やかな2丁目から4丁目くらいまでが、東京五輪のマラソン開催の準備で閉鎖され工事が行われていました。芝生まではがしての工事、あとから元に戻すことにはなっているようですが、芝生に寝っ転がれるのは来年までお預けとなりそう。次回がいつになるか分かりませんが、何十年ぶりかにとうきびを食べてみたいところ。


そのままちょっと北に進むと、北海道開拓のシンボル「札幌市時計台」。現存する時計台としては日本で最古のものだそうで、1878年(明治11年)、札幌農学校、現在の北海道大学の演武場として建設されました。今でも時計台の軒には「演武場」の看板があります。

都市化が進むとともに周囲にビルができた影響で、時計台の時計を周囲のビルなしで写すことができないことから、「がっかりスポット」としても有名。実は数年前までは1カ所だけビルなしで写せる方向があったのですが、その方向にもビルができてしまい、今はビルなしで時計台の時計を写すことはできません。

内部も公開されているので入ることができるのですが、コロナ禍クローズになっていました。時刻はちょうど12時。久しぶりに時計台の鐘の音を聞きました。この時計台の鐘の音を録音して小学校で流しているところもあるんだとか。


さらに足を北に向けると、北海道庁旧本庁舎、いわゆる赤レンガ庁舎と駅前通りから続く並木道を見ることができます。

かつては普通に車が往来していたところですが、2014年(平成26年)に歩行者専用道路「アカプラ」となりました。おかげでこうした画が撮れるようにもなったわけです。

赤レンガ庁舎には個人的な思い出みたいなものはあまりないです。札幌駅~大通の動線が西2丁目から西4丁目までに偏っているせいかもしれません。紅葉したイチョウ並木のコラボはとてもきれいで、写真スポットとしては、北海道大学のイチョウ並木とともに有名。そういえば、紅葉したイチョウ並木をカメラに収めたことはないですね。


45年前と大きく姿を変えたのは札幌駅前でしょう。当時は高架の駅ではなく地上駅。東西に走る函館本線の線路は札幌市の南北の交通を分断していました。随所に踏切があり、遮断機は踏切そばに常駐している係員が下ろしていました。人と車の往来が激しかった西5丁目通りには跨線橋がかけられていて、札幌駅の様子を見下ろすことができたのは懐かしい思い出です。

地下鉄南北線のさっぽろ駅から続く地下にも改札口があり、いつも多くの人でごった返していました。「札幌駅 地上時代」とググると、当時を偲ばせる数多くの写真を見ることができます。国鉄時代の駅ビルの感じは、今の釧路駅がその面影を残していると思います。旭川駅、函館駅、帯広駅はどこも効果駅になったりリニューアルされりと、昔の面影は残っていません。釧路駅を見ると地上駅時代の札幌駅のイメージがわくかもしれません。


今はその面影もすっかりなくなり、更に来年からは北海道新幹線の工事が始まるなど、新たな時代に向けて札幌駅周辺は更なる変貌を遂げていくことになります。


そんな中、駅前から見た駅前通りの景色は、駅前にあった五番館西武デパートの跡地がぽっかりと空いている以外は、昔とあまり変わりません。ここにはヨドバシカメラがビルを建てるようですが、いつになるでしょうか。


6月と言えば北海道観光のベストシーズン。普段であれば札幌駅、大通は多くの観光客がにぎわっているのですが、コロナ禍あまりにも静かな札幌中心街は、これまで見たことがない雰囲気でした。

できれば我が学び舎まで足を延ばしたかったところですが、今日はこのくらいにして、新千歳空港へちょっと早めに移動します。


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