青森・十和田の旅・8 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(2022.5.3)

2022年5月3日、GW後半の開始日ですが、青森・十和田の旅は最終日。今日は午前中に青森市内にある青函連絡船メモリアルシップとワラッセを訪れた後、午後から東北自動車道をひたすら走って帰京します。

前日は、青森県立三沢航空科学館、三沢空港を訪れた後、八甲田をドライブして青森市で宿泊。八甲田の天気もイマイチで、いい写真がないのでドライブシーンは割愛。


なお、宿泊は「スーパーホテル青森」。そのホテルのすぐそばに、昨日、三沢空港で見つけたあおもり林檎ジュエリーを売っている和菓子屋「二階堂」があり、そちらも訪れてお土産買っています。いくつかお菓子を買いましたが、甘すぎずさっぱりとした味付けで、おススメのお店です。詳細は後日別記事にて。


朝9時半前、ホテルをチェックアウトして、青森駅そばにある青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸にやってきました。

車はワラッセにも行くので近隣の駐車場を使ったのですが、八甲田丸のすぐ横に無料の駐車場を発見。そちらを使う方がよいかと思います。うーん、二階堂の件と言い、駐車場の件と言い、今一つのことばかり続く…。でも懐かしい船体を見て気分はノリノリです。

というのも、1986年に高校を卒業して、初めて北海道に渡った時に乗ってから、1988年に青函トンネルができるまで、わずか2年ですが何度もお世話になった連絡船。短い間だったとはいえ、思い出が色々詰まっています。そのあたりの思い出話はこの記事の中で順次ご紹介ということで。


メモリアルシップとして係留されているのは「八甲田丸」。1964年から青函連絡船が営業を終える1988年まで、当時の青函連絡船の中では最も長い約24年間現役で活躍した船です。私も何回か乗ったことがある(はず)。


船尾から左舷へ回り込むようにして入口に向かいます。青函連絡船は、客車、貨車をそのまま船に乗り入れることができるという、世界的にも非常に珍しい船です。船尾には、その積み込みに使われた架道橋が当時のまま残されており、これを見ただけで、自分が利用していた当時を思い出します。


ここから階段を上がって入口へ。おそらく、在来線と連絡船をつなぐ連絡通路だったところを改装してそのまま使っているものと思います。

私の場合、利用していたのはいつも0:30発の深夜便。長旅を終えて電車の扉が開くと、潮の香りに一気に包み込まれる青森駅。乗り換えのわずかな時間を我先にと立ち食いそば屋へ向かってそばを食べ、それから写真にある連絡橋を渡って桟橋建屋に向かいました(写真の連絡橋は、青森駅ホームとは切り離されていて、自由通路になっています)。桟橋建屋はさすがにもうないですね。


船がまるごと博物館になっています。入口でチケットを購入。大人ひとり510円ですが、ねぶた関連施設の「ワラッセ」にも行くなら930円の共通券を購入すると200円お得になります(金額は訪問当日のもの)。


入口のすぐそばに、当時の乗船名簿が置いてありました。青森駅に近づくと車掌さんが配ってくれるのですが、これを受け取って記入すると、いよいよ北海道に渡るんだな、と気分が高まります。飛行機が今ほど安くなく、長距離の移動も列車での旅が一般的だった時代、船に乗船することは、いつもと違う「特別」なことでした。

普通はいわゆる「雑魚寝」の席でいいので「白」の乗船名簿となりますが、グリーン席を使う場合は「緑」の乗船名簿に記入します。1986年高校を卒業して北海道に初めて渡った時、列車の長旅じゃきついだろうからと、母が連絡船のグリーン席の切符をくれたことを思い出します(感謝)。

私がいつも利用していた深夜便は、寝ていけることから特に混んでいました。その昔、混雑時は函館あるいは青森から先の乗り継ぎ列車の指定券を持っている人が優先、お客さんの積み残しということもあったようです。


そのほか、当時活躍していた船の雄姿を偲ぶこともできます。


それでは、階段を上がり、3階の連絡船の記念館に行ってみましょう。


こちらは運航当時の品々のほか、実際に使われていた乗客用の椅子が展示されています。


昭和61年、1986年11月の時刻表です。青森発0:10の臨時便もしくは0:30の定期便に東北本線、奥羽本線から非常に多くの特急が接続していました。函館着は朝4時過ぎ。函館発4:42、4:56の特急北斗に乗り継ぐと、札幌には8時半~9時前に着くことができました。

残念なのは、私が北海道に初めて渡った時に乗った特急「北海」が、この11月の時刻改正で廃止となって時刻表から消えてしまっていること。

北海は4:50に函館を出て、長万部から倶知安、小樽、いわゆる函館本線の「山線」を通って札幌に9時過ぎに到着する特急でした。

初北海道上陸のとき、倶知安の手前、ニセコ駅を過ぎたあたりから見えた、雪をかぶった羊蹄山の姿と、小樽から銭函までの張碓海岸の景色は今でも忘れることができません。


当時、北海はキハ82系で運転されていました。それを思い起こすかのように、メモリアルシップの1階車両甲板に実際のキハ82が展示されています。詳しくはまた後ほど。


また、現在では小樽市総合博物館に「北海」のプレートを付けて静態保存されています。こちらは6月に訪れましたので、後日また紹介します。

(2022年6月 小樽市総合博物館にて撮影)


当時の青森駅の様子。いつも深夜の乗り換えばかりで、結局一度も改札の外に出たことはありませんでした。


当時のグリーン席。初めて北海道に渡った時、この座席に座りました。


現在はビデオシアターになっていて、実際に座り、リクライニングさせることもできます。


続いて津軽海峡文化コーナーへ。

昭和30年代を再現したジオラマ。これがまたよくできていて、当時の様子をよく知ることができます。


当時の切符も展示されています。今の指定券は駅名はすべて漢字、かつ出発、到着時刻まで記載されていますが、昔の指定券は「カタカナ」で表示、乗車日時のみが記載されていました。写真は列車名に「カイキョウ」とあるので、青函トンネル開業後のものですね。


同じ階にある船長室の様子。


船の位置を示す連絡船の航路表示板。下りは青、上りは赤のランプが出航から到着まで順番に点灯していきます。特に夜行便だと窓の外は真っ暗なので、今どのあたりを航行しているのかを知ることができて便利でしたね。


ブリッジ=操舵室を見学。船長室、操舵室を見るのはもちろん初めてです。


そのまま外に出て煙突展望台に上がります。


方位磁針。こういうのを使っていたんですねー。船のことはあまり詳しくないですが…


天気が良くいい眺めでした。遠くに下北半島が見えます。


ここからエレベーターで1階車両甲板に降ります。青函連絡船は、列車や貨車をそのまま積み込むことができた珍しい船。もちろん、現役活躍中は実際に詰まれている車両甲板を見ることはできないわけで…。

引退から34年が経過して、初めて立ち入る車両甲板、ちょっと興奮気味です。エレベーターを降りるとまず目に入るのが貨物列車の最後尾に連結されていた車掌車、ヨ6000。昔は貨物列車の最後尾に車掌さんが乗っていました。今は廃止されちゃいましたけどね。


荷物車スユニ50。郵便物を運ぶ貨車です。当時、本州と北海道を郵便輸送するときは、鉄道と連絡船が使われたものと思われ、こういった感じで連絡船に積み込まれたのではないかと想像されます。インターネットで調べると、最近まで現役で活躍していた車両が数両あったようです。貨車で郵便物他荷物を運ぶ需要がまだあったんですね。


貨車の固定はこんな感じ。貨車側にも固定用のフックが付いています。


その他、DD16や先に紹介したキハ82など、活躍した鉄道車両が、車両甲板満載で展示されており、連絡船が運航していた当時の様子を今に伝えています。


最後は地下1階機関室。ここまで入れるとは思いませんでした。さすがにもう動かないのでしょうけど、見た感じそれを感じさせません。展示するためのメンテはしっかり行われているな、という感じを受けました。


すべてを見終わるのに1時間半以上かかりました。メモリアルシップというだけあって、内容が非常に充実しています。特にブリッジや煙突展望台、車両甲板、機関室といった、運航当時は立ち入ることができなかったところにも入ることができ、さらにきちんとメンテナンスがされている点に感心します。

対岸の函館にも、青函連絡船記念館として摩周丸が係留、展示されていますが、HPを見る限り、ブリッジなどには入ることはできるものの、車両甲板、機関室には入れないようです。

青森側の方が青函連絡船に対する思い入れが深いということなのでしょうか。

青函連絡船で多くの人を送り出してきた青森駅。その旅情は多くの人の心をとらえてきたのでしょう。北海道に渡る人々を描いた歌、「津軽海峡冬景色」の碑が、メモリアルシップの横にありました。


過去の活躍を現代に伝える「メモリアルもの」は、今一つの物がけっこうあるのですが、このメモリアルシップ八甲田丸は、非常によくできていて、当時を今にうまく伝えていると感じました。

このあとは、隣にある文化交流会館ワラッセでねぶたを体感します。


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